本のご縁

人からのお薦め、書評記事、本の中での紹介など、さまざまな形で新しい本に出会います。そのようなご縁で読んだ本を感想とともにご紹介します。

14歳からの哲学 考えるための教科書

出会ったきっかけ
テレビ番組「100分de名著」にて、この著作の存在を知りました。しかし、いつか読もうと思いつつ、そのまま忘れてしまっていました。新聞広告がきっかけで読んだアンソロジー『うその楽しみ』に、池田晶子さんの「正直者は馬鹿をみるか」が収録されており、そういえば、と思い出し、読むことにしました。

池田晶子著『14歳からの哲学 考えるための教科書』、トランスビュー社、2003年(単行本:209ページ)

紹介・感想
1章あたり6-7ページの短編の30章で、「考える」から始まり、「存在の謎」で終わります。14歳の読者を想定して、平易な語り口で問いかける形式ですがが、著者と問答、議論をしているようで、何度も立ち止まって考えることになり、読み進めるのはとても難しかったです。読み終えた今でも、わかったような、わからないような。著者自身が述べているように、この本の中に「答え」はないのだから、当然かもしれません。自分で考えることの重要さ、何よりも精神を豊かにすることの尊さを、本作を読むことを通じて、気づかされました。この作品をきっかけに、謎である「自分の人生、この生き死に、この自分」を懸命に考え続けることが大切なことなのでしょう。あくまでこの本は、考えることの大切さと考え方を指南してくれているのであり、この本を読んで終わりではなく、これからも考え続けるよう、背中を押されます。

私の世界観は大きく変わリました。これまで自分がいかに「科学」的思考に染まっていて、それのみを真実と思い込んでいたか、に気づかされました。「現代科学は、どのようにしてビッグバンが起こったのかは説明できるが、なぜ起こったのか理由を理解することはできない」という趣旨の話は、目から鱗でした。「社会」や「学校」など当たり前に使っている言葉が、実は観念であり、物理的に存在するものではないとの話も。

第Ⅱ章「14歳からの哲学[B]」はテーマが比較的に具体的なものだったので、比較的に考えやすく、腹落ちもしました。特に、20章「メディアと情報」。「氾濫するメディアにあるのは情報であって、知識ではない。情報を自分の血肉の知識とするためには、自分で考えなければならない。本物を読まなければならない。本物として間違いのないものは古典。考える人類が、長い時間をかけて見抜いた本物」といった趣旨。自分がこれまでも考えていたことだから、基礎ができていて、腹落ちしやすかったのでしょう。他のテーマについても、普段から考え続けることが大事と、身をもって感じました。

作中での出会い
特定の図書が取り上げられることはなかった。あとがきにてもっと興味があるのなら、書店か図書館へ行って、「哲学」と名付けられたコーナーを見てみるといいでしょう」とあるので、強いて言えば、様々な哲学書を読むのが良いのでしょう。本書を読むきっかけになった、同著者の別作品「正直者は馬鹿をみるか」で紹介されていた、ディオゲネス・ラエルティオス(著)「ギリシア哲学者列伝」では、歴代の哲学者の生涯や学説が紹介されているらしいです。

インド夜想曲

出会ったきっかけ
数年前に、イギリス文学の専門家から「須賀敦子の『ミラノ霧の風景』をご存知?すばらしいわよ」と、教わりました。須賀敦子(1929-1989)はエッセイ『ミラノ霧の風景』で注目を浴び、以降数々のエッセイを出すとともに、イタリア文学の翻訳、日本文学のイタリア語訳をなさっています。須賀敦子のエッセイを立て続けに読み、その豊かな感受性と繊細な描写に魅せられ、そんな彼女が好んで翻訳したイタリア文学は、どのようなものだろうと興味が湧きました。10数冊出ている翻訳書の中でも、最も多くの作品を翻訳している作者、アントニオ・タブッキに作家を定め、その中でも比較的読みやすそうな『インド夜想曲』を読むことにしました。

アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳『インド夜想曲』、白水社、1993年(新書:163ページ)

紹介・感想
イタリア人の主人公は、1年前に失踪した親友を探し、インドを旅する。手掛かりになる人を訪ね歩き、行く先々で一期一会の出会いがあり、そこで交わされる会話から垣間見える独特な価値観と文化に、読み手は揺り動かされる。中でも、物語中盤、占い師の少年から、「マーヤー(この世の仮の姿)であり、アトマン(個人の魂)は別の所にいる」と主人公が言われる場面は、この作品の中で特に重要なターニングポイントだろう。清濁混じり合った、魅惑的なインド、その旅に誘われて、共に夢見心地でインドを旅している気分に酔わせてくれる不思議な作品。

作中での出会い
フェルナンド・ペソア(1888-1935) ポルトガルの詩人。作中、捜索している親友が、かつて文通していたと思われる神智学協会の会長を尋ねた際に、話題に上がる。主人公との別れ際、会長はペソア作の詩「降誕祭」を読み上げる。